ArtAnimation私的調査室
(アートアニメーション私的調査室)
■パペットアニメ、人形アニメ、ストップモーションアニメーション
●アートアニメではメジャー?な「パペット(人形)アニメ」
セルアニメが多人数向けの制作方法とすれば、逆に一人もしくは少人数向けに適したものが人形アニメと呼ばれるものである。これは対象(可動関節などのある人形など)を少しづつ動かし、それを写真に撮ってそれらのフィルムを繋ぎ合わせて作る手法である。
少人数で出来るだけでなく、ある程度コマ撮りアニメを撮るのに相応しい人形さえ入手すれば作ることが出来る。絵が描けなくても出来てしまう。デジタルカメラで写真撮影が容易になった現在は素人ですら作ることが出来る。たとえば絵心が全くない私もお遊びで作ってみた。
「アート」になるかはともかく、このように絵画アニメより製作は容易なくらいであるから、この誕生も古いがアートアニメーション言い換えれば「芸術」としての評価は高くなかったらしい。
考えるに、人形アニメはまず人形劇とは違うことを理解しなければならない。人形が動くならばアニメも劇も同じだ、という見方をしてしまう人にとっては「人形アニメ」の意味はほとんどなくなってしまう。そのような点で言えば、むしろ人形が、人形劇では表せない、微妙で、自由で、生き生きとした動きをすることに驚きと感銘を受けるだけの理解力が見る側になければならぬ。それが十分に出来るのはむしろ大人の方かもしれないのだが、しかし「子供向け」と見なされることの多かったアニメ特に人形アニメは芸術としての評価を得ることが少なかったのではないか?
参考図書で紹介している『世界アニメーション映画史』では人形アニメ制作の難しさとして
●人形アニメの父、イジートルンカ
そのようにしてアニメーション全体の中ではメジャー化できなかった一方で、作家の個性を出すことの出来るアニメーション作品として、アートアニメーションの中では重要なジャンルになった。そのような人形アニメーションで、この人を抜きに語れないのが旧チェコスロバキアのイルジ・トルンカ{イジー・トルンカ}(1912-1969)である。
彼は人形アニメーション作品の傑作を次々と作り、人形アニメの父とまで言われるようになっている。チェコでの彼が活躍したスタジオは「トルンカスタジオ」と名付けられ、前述した川本喜八郎も彼に一年間師事しに行っている。トルンカはチェコ現代人形劇の父と呼ばれるヨゼフ・スクーパに人形芝居の技術を学んだという。24歳で人形劇団を作るが不成功に終わり、ナチスの占領下では劇場のセットデザイナーや絵本の挿絵作家として活躍した。
イジィ・トルンカ作品集 VOL.2 チェコの古代伝説 |
その後、映画事業が国営となった時に腕を買われてアニメーション・スタジオの美術監督に任命される。当初はセルアニメにも挑戦したようだが後は専ら人形アニメの制作に従事し、数々の傑作を生んだ。
私はまだ、長編を4作しか見ていないのだが、ストーリーは『チェコの古代伝説』(1952)、『真夏の夜の夢』(1959)など、今見ると若干退屈な感じがしないでもない(上二つは題材の問題?)。しかし人形の扱い方や小道具(光など)の使い方は圧巻であり、『バヤヤ王子』(1950)、『皇帝の鶯』(1948)での人形達はとても印象に残るし、ストーリーもそこそこ面白い。人形達が生き生きと動く様は確かに圧倒されるものがある。
もっともここまで大規模になるとイジートルンカ個人で制作したというよりも、やはりそのスタジオはある程度大きかったのではないかと思われる。
私は未見だが短編なども評判が良い。
チェコスロバキアは人形劇の伝統が強かったためか、他にもアニメ作家を輩出しており、人形アニメに止まらない優れた作品を残しているが、カレル・ゼマン氏など、他のチェコスロバキアの作家達については別なところで述べることにする。
●日本の人形アニメーション
川本喜八郎作品集 |
人形アニメを語る上で外せないのは、冒頭で述べた川本喜八郎氏である。氏はNHK人形劇「三國志」で人形を作った人形作家として「日本では」有名であるが、世界レベルで言えば「人形アニメーション」の分野で有名なのだ。作った作品は短編が多く、作品数もそれほど多くないが人形アニメを語る者ならば氏の作品は必見と言って良い。
「女の業、三部作」とも言える『道成寺』(1976)、『鬼』(1972)、『火宅』(1979)は間違いなく傑作であり、芸術的なものに関心があるならば人形アニメ一般を知らぬともそれらの作品は「芸術作品」として肯定できると信じる。
特にこれらの作品では『鬼』では文楽の人形、『道成寺』では歌舞伎の面の人形、そして『火宅』では川本氏オリジナルっぽい(日本)人形が主に使われているなど、日本の伝統文芸を強く意識した作品になっている点も非常に興味深い。
もっとも私個人としては人形アニメでの前評判を聞いていたためか、上記作品もさることながら川本氏が切り絵アニメ、絵画アニメなどの作品も作っていることに驚いたし、興味が惹かれる。『旅』(1973)、『詩人の生涯』(1974)など、よく分からないけど印象に残り、特に後者は私のお気に入りである。
*なお、川本喜八郎と並ぶ日本の人形アニメの大家として岡本忠成氏がおり、両者の師匠として持永只仁氏がいた。持永氏は戦争中に中国に渡り、満映で働いていたが、戦後もしばらく中国に残って現地の人々にアニメーション技術を教えており、帰国後に川本らに教えたという。日中のアニメ界の恩人とされているようだ。
両氏の作品については未見、というか見たか覚えていないし、2005年現在、DVDもまだのようなので具体的には両氏の作品の紹介は省く。
●特撮に使われた人形アニメ・ストップモーションアニメーション
さて、ディズニーを生んだアメリカ合衆国では人形アニメはメジャーにならなかった旨を述べたが、実は人形アニメ(パペットアニメーション)が皆無だったわけではない。米国での人形アニメは意外なところで発展した。それは特撮である。
一般に人形アニメというと、その作品全体がコマ撮りアニメ、パペットアニメーションであることが多い。イジートルンカの作品の中にも『皇帝の鶯』など、実写とアニメを交えた作品もあることはある。しかし『皇帝の鶯』では現実の世界を実写で、主人公(?)の夢見る中をアニメーションで、という形でくっきりわけている。
ところがそれをせずに、あたかも実写の映像と人形アニメの映像を混ぜたものが米国の特撮(SFX)で大変なカルトな人気を得、後の特撮映画全体に影響を及ぼすまでになった。
その際に必ず語られる人物がレイ・ハリーハウゼン{ハリイハウゼン}(1920-)である。彼はストップモーションアニメと呼ばれる人形アニメ・パペットアニメの手法を実写と巧みに組み合わせた、非常にリアリティのある特撮映画を作ったのである。
この時にコマ撮りアニメで撮影される生き物は「クリーチャー」などと呼ばれ、恐竜、怪物、怪獣、化け物、伝説上の生き物、などなどであるが、それらと実写の組み合わせが非常に巧みに撮られている。
ハリーハウゼンによるカラーで初のこの特撮映画が『シンドバッド七回目の冒険』(1958)であるが、この段階ですでに非常に完成度が高く、既に半世紀経つ今見ても(古い映画だと感じられるにせよ)娯楽作品として全く遜色がない。
その後は
『アルゴ探検隊の冒険』{ジェイソンとアルゴ探検隊}(1963)
『恐竜100万年』(1966)
『シンドバッド 黄金の公開』(1973)
『シンドバッド 虎の目大冒険』(1977)
『タイタンの戦い』(1981)
と娯楽映画作品として質の高い作品をコンスタントに作り続けた。
これらの作品は大変メジャーになったので、ハリーハウゼンの名前は知らなくても、お茶の間でTVに流れる映画作品として鑑賞したことのある人も多かろう。
ここで言っている『質が高い』というのは二つの意味を込めている。すなわち
の二つである。たとえば有名なのは『シンドバッド七回目の公開』と『アルゴ探検隊の冒険』での主人公たちが骸骨と戦うシーンなどが代表であろう。
私が個人的に好きなのは『アルゴ探検隊の冒険』(1963)のテイロスのシーンなどがある。あたかも青銅像に見える巨神がのっそのっそ、というよりキリキリという金属音を鳴らしながら、大地を歩き、その足下に人々が駆け回る様の迫力は素晴らしい。
レイ・ハリーハウゼンは監督を務めたわけではなく、映像担当として采配を振るっており、これらの映画全体の質を挙げている1番の点に関しては必ずしも彼だけの功績ではない。
だがこれらの作品は一見して、その特撮の巧みな利用が映画全体での印象に深くかかわっており、特撮無しでは考えられないことが分かる。ハリー・ハウゼンはストーリーなどにも関わったことは間違いがなく、全体で果たした役割はとてつもなく大きかったはずだ。
ハリー・ハウゼンは1992年に永年の功績を讃えられ、アカデミー賞特別賞を受賞しており、映画製作は1988年の『タイタンの戦い』で終えているが、2005年でも元気なようで、メイキング・ビデオなどを見ると模型少年がそのまま大人になったかのような顔で生き生きとストップモーションアニメ(実写との組み合わせでそれを「ダイナメーション」と呼んでいたようだ)を語ってくれている。
ハリーハウゼンが関わった作品を『アートアニメ』作品に単純に入れることは困難であろう。だがそれでも私は注釈付きながらも『アートアニメーション』に入れたいと思っている。(ハリーハウゼン氏等の関係者がそれを歓迎するならば、だが。)
その理由はまず、アニメーション技法の巧みさでは決して他のアニメーションには劣らないくらい工夫し、創作している部分があるからである。
最初に述べた「アートアニメーションの定義」で、私・高崎でない定義を挙げたが、その中に「人形や粘土、CG、線画などさまざまな制作方法があり、その方法自体が作品の味となっている」となっており、これはまさしくハリーハウゼンの作品そのものではなかろうか?
そしてストーリーについて「アート(芸術)」であるかどうかを考える場合、何を以て芸術とするかは簡単には言えないことなのではないか。すなわち、大衆が娯楽として楽しめる作品だからと言って芸術に分類して悪いことがあるだろうか?
そもそも、他で「アートアニメ」と呼ばれている作品でのストーリーやその背景にある主張、思想も必ずしも高尚な、堅苦しいものばかりではあるまい。よくあるのは「戦争批判」や「人種差別批判」あるいはそれらを超越したようなファンタジックな世界であるが、それらも陳腐と言ってしまえば陳腐なものである。
それらと比較したとき、ハリーハウゼンの作品と、一連のメイキングビデオを見ると分かるが、これらの作品は単に「楽しませるだけ」ではなく、そこにはそれなりの「健全な思想」が流れているのだ。すなわち、作品のうち2作品は神話を題材に採ったものであるし、残りは冒険ものが多いが、勧善懲悪あるいは「人のものは盗むな」「邪なものは成敗される」といった、ステレオタイプではあるが普遍とも言える内容になっている。
このような話をすると「芸術性が高いとは何か」といったことも考えさせられるのだが、まあそれはとりあえず置いておくことにするにしても、米国ではメジャーになれなかった人形アニメーションが特撮の中の一部としては根強く育ったことはもっと注目されて良いように思う。
人形アニメ単体では地味な面があり、また多人数での制作に向かないこともあって、それゆえ米国大衆のメジャーな娯楽作品になれなかったわけであるが、「アートアニメ」かどうかはともかくも、その表現手法は特撮の一部としてしっかり育ったわけであり、特撮と言えば「ぬいぐるみ」が定番だった日本での映画界に比べると、遙かにコマ撮りアニメ手法が映画全体にもたらした影響はあったと見るべきであろう。
*なお、レイ・ハリーハウゼンの作品は後の映画作家達に大きな影響を与えた。たとえば「スターウォーズ 帝国の逆襲」に特撮担当として参加したフィル・ティペットははっきりと自分が映画を志したのはハリーハウゼン作品の影響と明言し、1990年『ロボコップ2』などでもストップモーションを使った特撮を作っている。
(『ロボコップ2』の映画自体のストーリーは私にとっては最低な部類であり、アートアニメには無論のこと、娯楽作品にも入れたくない。)1990年頃からストップモーションアニメはコンピュータ・グラフィックスによって駆逐されていくが、Wikipediaのフィル・ティペットの項目を見るとCGを大幅に利用した『ジュラシック・パーク』で、彼はうまくストップモーションアニメをコンピュータグラフィックスに発展させていったようだ。
コンピュータ技術の発展はセル画アニメ制作法にも多大な影響を与えているが、ハリーハウゼンが築いたような、娯楽作品の特撮(SFX)としてのストップモーション・アニメーションは、映画『ジュラシックパーク』によって一つの終焉を迎えたと言えるだろう。
ただし『アートアニメーション』の為の表現手法として価値がなくなるかは断定できない。