ArtAnimation私的調査室
(アートアニメーション私的調査室)
アートアニメーションは他の芸術作品と同様にいくつかの分類の方法があるが、ここではそれを概観しながら、アートアニメーションとしては比較的有名な作品、あるいは私の思い入れのある作品を中心に紹介していきたい。
【技法による分類】
アートアニメーションを語るときに欠かせないのが技法に分類である。具体的には以下のようなものがある。
●アニメーションにおける「セルアニメ」とその他
アートアニメーションで技法の話が重要なのは以下のような理由による。
アニメというと後述のようなディズニー作品の広がりの為もあって、セル画を使った主に子供向けの「漫画映画」作品が想像されることが多く、日本でも鉄腕アトム(手塚治虫氏率いる虫プロ)以来、TVアニメが大量に作られたこともあって、「アニメ」と言った場合にセルアニメ以外を想像するのが多くの人には困難なほどになっている。
日本の商業向けセルアニメは現在、量もさることながら質的にも子供向けに限らず、大人の鑑賞に堪えうる作品も増え、世界的には「ジャパニメーション(Japannimation)」の言葉で知られている。
*(現在はほとんどがコンピュータによるデジタル・ペイントで作られており、セル画が使われることはないらしい。
このようにセルアニメが多かった理由は●セルアニメの王道・ディズニーのアートアニメ
前節のような理由により、アートアニメというとむしろセル画以外のものを指すことが多く、セル画アニメにおいて明らかに「アートアニメーション」に分類される有名作品は必ずしも多くない。
セルアニメに果たした役割の大きさから触れざるを得ないのが、米国と世界のアニメ界に圧倒的な影響を与えてきたディズニー・プロダクションである。ディズニープロダクションは、もともとウォルト・ディズニーが「ミッキー・マウス」などを筆頭に「商業アニメ」を制作するために作った企業であるが、当初から多人数で作品を作り上げるアニメ作りを志向していたために、作られた作品は「没個性」になりがちであり、その作品がアートアニメーションとして扱われることは必ずしも多くない。
ディズニー作品あるいはそのライバル作品など、大衆に受け入れられるような娯楽作品として作られたセル画・動画による商業アニメは「漫画映画」と呼ばれることが多いが、そもそも「アートアニメ」というカテゴリは、ディズニーや日本の大手プロダクションが指向してきた方向と違うアニメーション作品に注目するために作られた概念であるから、ディズニー作品の中からアートアニメを見つけようとすること自体、矛盾的なものがある。
けれども、アニメーションという表現手法が発展する過程で、商業目的か否かに拘わらず、アニメーション史の中で極めて重要な作品が、アートアニメーションとして語られることがあり、またそれはある程度妥当なことだと考えられる。具体的にはたとえば
などが挙げられよう。
それらの大成として世界初のカラー長編アニメーション『白雪姫』(1937)があり、「アニメーション史」では極めて重要な作品である。そもそも当時、実写映画でもカラーの作品はまだ存在しなかったことを考えれば、どんなにかこれが「アート」として感じられたか想像も出来よう。
けれども一方で、それらはアニメーション作品が大衆向けの商業作品として発展するための準備段階であったと考えれば、アートアニメに分類するよりも、一般のアニメーション史の中に置いた方が望ましいように思われるし、それだけの評価はすでに十分受けていよう。
なお「アートアニメ」とみなせない、もしくは商業アニメであるからといって、ディズニー作品が米国で軽んじられていたわけでは全くない。ディズニー・プロの作ったアニメ作品は十分にその芸術的な価値を認められ、他の映画と肩を並べる評価を与えられた。
その証拠に、ディズニー作品は数々のアカデミー賞を受賞しているのである。ディズニー作品は日本での「アニメ一般」に対する評価よりもむしろ高い評価を与えられていたと言える。
●一作品で世界に衝撃を与えたポール・グリモー『やぶにらみの暴君』
そのようにセルアニメの王道はディズニーであったが、その一方でセル画によるアニメでありながら、アートアニメーションとして分類される代表として、ポール・グリモー[フランス](1905-1994)監督の
『やぶにらみの暴君(羊飼いと煙突掃除夫、王と鳥)』(1952)
がある。
ディズニーないし他の米国のアニメ(フライシャー、ワーナー・ブラザーズ、ランツなどなど)の影響が世界中に広まる中で「ヨーロッパにもヨーロッパならではアニメあり」と見せつけたのがこの作品だ。
おかだえみこ女史曰く「才気に満ち、独特の美意識がすみずみまで張りつめた傑作」とされる作品で、日本の多くのアニメーション関係者に大きな影響を与えた。影響を与えられたその代表が宮崎駿とともにスタジオジブリを築いた高畑勲である。
これをアートアニメに入れざるを得ないのは、その誕生の物語がいかにもアートアニメらしい凄まじさを語ってくれるからだ。
現在の、特に現場を知らないアニメファンには想像がつかないと思うが、当時1950年前後の当時、1時間半のセル映画というのは莫大な費用がかかるものであって、その一本に失敗してその後のアニメ制作を断念せざるを得なくなった場合が少なくなかったが、この『やぶにらみの暴君(羊飼いと煙突掃除夫)』も製作開始4年後に制作資金が息詰まったため、8割方出来上がったところで共同経営者が強引に封切ろうとするトラブルに見舞われた。
監督のポール・グリモーは映画製作に参加した詩人であるジャック・プレヴェールらとともに、中途半端で上映することに反対、訴訟を起こすが敗訴して上映が決まる。グリモーとしては大不満であったろうが、この上映作品は世界で大評判となったのである。
だが凄まじいというのはその後だ。評判を得たとは言え、その作品が中途のままで上映されたことが不満だったグリモーは1967年にネガを買い戻し、驚くべきことに20年近くもかけて資金をためた1972年頃から上記作品の改訂に取りかかる。結局、彼の納得いく作品は79年に完成、これを『王と鳥』と改題した形で完成したというのである。
しかもポール・グリモーは旧作プリントを探し出しては破棄していたと言うから、芸術家魂凄まじと言えよう。
このような製作経緯や、旧版として1952〜1954年当時、アニメーション作家達に与えた影響からこの『やぶにらみの暴君』はセルアニメのアートアニメーションとして代表的な作品にすらなっている。
客観的に見れば、資本主義のフランスで大衆娯楽向けを目指して作られた作品である以上、アートアニメの範疇から除去してしまうことも出来よう。
だが改訂された『王と鳥』を見るだけでも、その作品の「大人向けの洗練された雰囲気いろいろ」はなかなか感銘を受けるものがあり、これはポール・グリモー監督の作品全体に対する影響力と作品への覇気・思い入れがあってこそ実現したと思われ、それが故に多くの人々の心を揺すぶったに違いない。そのような点でこれはやはり紛れもなく「アートアニメーションである」と私は考えるのだ。
どれだけ多くの人々に影響を与えたかの傍証としては、宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)がこの『やぶにらみの暴君』から様々なアイデアを使っていることはかなり有名な話だし、別途紹介するカレル・ゼマンの『盗まれた飛行船』もやはり同様にこの作品の影響を多大に受けている。
それから参考図書『世界アニメーション映画史』では2頁以上に渡ってこの作品を紹介し、当時どれだけ衝撃を受けたかについて滔々と述べてある。
なお、ポール・グリモーの作品には『やぶにらみの暴君(羊飼いと煙突掃除夫)』(1952)の製作前のものとして、
『かかし』(1943)
『避雷針泥棒』(1945)
『魔法の笛(魔法のフルート)』(1946)
『小さな兵士』(1947)
など、『やぶにらみの暴君』の後には
『世界の飢餓』(1958)
『お嬢さんとチェロ弾き』(1964)
『ダイアモンド』(1971)
『子犬のメロマーヌ(音楽狂の犬)』(1973)
などを発表した。しかし『王と鳥』のような大作を作ることは出来なかった。
なお、上記短編集のうち、『世界の飢餓』『お嬢さんとチェロ弾き』以外の作品は『ポール・グリモー短編傑作集(ターニング・テーブル)』で見ることが出来る。
この『ターニング・テーブル』という作品の中では、ポール・グリモー自身が彼の作ったアニメーションのキャラクターと共に登場し、自分の過去の短編集を紹介していく。各作品はいずれも佳作と言えるようなささやかな作品である(ある意味、アートアニメという意味では相応しいささやかさと言える)が、『やぶにらみの暴君』前の作品で『やぶにらみ〜』で登場するユニークなキャラクターを彷彿とさせるキャラクターが生み出されていることが分かる。
また何より、この『ターニング・テーブル』という作品からは、自分が作ったアニメーションとそこに登場するキャラクターへのグリモーの愛情・愛着が強く感じられる点で非常に興味深い。
そしてこれらは一貫してセルアニメなのである。
●その他のセルアニメによるアートアニメ
前節では、セルアニメという手法で作られたアートアニメの代表として『やぶにらみの暴君』とその監督・ポール・グリモーの作品を紹介したが、その他にもセルアニメでアートアニメに分類すべき作品はいろいろある。
イギリスの『動物農場』(1954)、ロシアの『せむしのこうま(イワンと子馬)』(1947)、『雪の女王』(1957)、ルネ・ラルーの『時の支配者』(1980)、『ガンダーラ』(1987)などがある。それらの詳細は別なところで紹介する。
日本の作品はというと、まず戦前の漫画映画を中心に注目すべき作品は結構あるようだが、ここでは省く。
その他に挙げるとすると、たとえば「アートアニメとは何か」の中で紹介したDVD『手塚治虫実験アニメーション作品』の作品群もその一つだろう。ただし個人的には、その中でも
・虫プロ初のアニメーション『ある街角の物語』(1962)
・『ジャンピング』(1984)
・『おんぼろフィルム』(1985)
くらいだけしか惹かれないが。
●動画アニメの発展であるセル画系以外の動画アニメ
セル画という方式が多人数での制作に適したアニメであることを述べたが、セル画の基本はそれが「絵画」ということであろう。
セル画方式は動くことの少ない背景と動画を中心とするセルから成り立っているが、もともとは「少しずつ違う絵」を撮影する方式すなわち「動画」の発展版であると言える。 そして本来、少しずつ違う絵というのは一人で描くのは大変な労力であり、だからこそ多人数での共同作業にも適したセル画使用という方式が生み出されたわけである。
その一方でセル画に頼らず、一人で多くの絵を描いてアニメを作ってしまった代表がフレデリック・バック(カナダ)『木を植えた男』(1986)である。
フレデリック・バックはもともと画家であるが、50歳を越えた後にアニメを作り始め、その制作には5年もかかり、片目を失明までしながら仕上げたらしい。この作品はパステル画調の希有なアニメ作品で、一目見ただけでもその労力が偲ばれる。作風としては基本的に心温まる内容で絵ともマッチしているが、個人的な意見を言えば以前に見たときには退屈な感じがした。子供の良い絵本を捲るような気分、とでも言えようか。
これと同様に「こんな面倒そうな描画をよくぞここまで...」と思う作品としてはヨーゼフ・ギーメッシュ(ハンガリー)の『英雄物語』(1982)がある。これはセル画の長編アニメ(80分)らしいが油絵アニメなのだ。アーティストは10名で、画調統一の為に同一カット内は背景も動画も同じ画家が描いたという。内容はハンガリーの国民文学の叙事詩である。